現代貨幣理論(MMT)という言葉を最近耳にするようになったかもしれません。しかし、それが一体何を意味するのか、なぜこれほど議論されているのか、よく分からないという方もいるでしょう。この記事では、経済学の専門知識がない方でもMMTの基本的な考え方を理解できるように、分かりやすく解説していきます。
1. MMT(現代貨幣理論)とは何か?
MMTは、政府の財政運営に関する新しい考え方の一つです。特に、自国で通貨を発行できる国(例えば、日本、アメリカ、イギリス、カナダなど)に焦点を当てています 。従来の経済学とは異なる視点から、政府の支出や借金、インフレなどについて議論するのが特徴です 。
MMTの最も基本的な考え方は、自国通貨を持つ政府は、お金がなくなったからといって破綻することはないということです 。なぜなら、必要であれば自分でお金を作り出すことができるからです 。これは、私たち個人や企業がお金を使う前に稼ぐ必要があるのとは大きく異なります 。
例えるなら、政府は自分自身が発行する通貨というゲームのルールメーカーであり、必要に応じてゲーム内のお金(通貨)を増やすことができるようなものです。一方、私たち一般の参加者は、そのゲーム内のお金を稼いだり借りたりして使う必要があります。
MMTは、政府の財政能力について、これまでとは違う角度から光を当てようとする試みと言えるでしょう 。それは、政府の財政状況を、あたかも家計の財布のように捉える従来の考え方に対する疑問から生まれています 。
2. MMTの核心的な考え方
MMTの主張は多岐にわたりますが、ここでは特に重要な3つのポイントに焦点を当てて解説します。
ソブリン通貨
MMTを理解する上で最も重要なのが、「ソブリン通貨」という概念です。これは、政府が自国で発行し、管理している通貨のこと で、その価値は政府の保証によって成り立っています(不換紙幣) 。このような通貨を持つ国は、外貨準備や金などに縛られることなく、自らの判断で通貨を発行できるため、財政的な制約を受けにくいとMMTは考えます 。
例えば、日本円は日本政府が発行し、管理しています。日本政府は、必要であれば日本銀行を通じて円を新しく作り出すことができます 。これは、私たち個人が銀行口座からお金を引き出すのとは根本的に異なります 。私たちは、まずお金を稼ぐか借りるかしなければ、使うことはできません。しかし、政府は自らがお金を生み出すことができるのです.
ただし、お金を生み出す力があるからといって、無制限にお金を発行して良いわけではありません。その点は後ほど詳しく解説します 。
債務とデフォルト
MMTの大きな主張の一つに、「自国通貨建ての国債はいくら発行してもデフォルト(債務不履行)しない」というものがあります 。なぜなら、政府は返済に必要な自国通貨を自ら作り出すことができるからです 。
これは、政府の借金(国債)を、私たち個人の借金と同じように考えるのは間違いだとMMTが主張する根拠の一つです 。私たち個人の借金は、収入や貯蓄といった限られたお金で返済しなければなりませんが、自国通貨を発行できる政府には、その制約がないというわけです 。政府の債務は、政府が経済に投入し、まだ税金として回収されていないお金であるとMMTは捉えています.
また、MMTによれば、政府が国債を発行する主な目的は、資金調達ではなく、金融システムにおける銀行の準備預金を調整し、金利を目標水準に維持することです 。つまり、国債は政府にとって資金を得るための必須の手段ではないと考えられています 。
しかし、自国通貨建ての債務でデフォルトのリスクが低いとしても、債務残高が膨らみ続けることには注意が必要です。過剰な債務は、インフレや通貨価値の低下といった別の問題を引き起こす可能性があります 。
政府支出
従来の考え方では、政府が何かにお金を使うためには、まず税金を集めるか、国債を発行してお金を借りる必要があるとされてきました 。しかし、MMTはこれに対して、自国通貨を持つ政府は、必ずしも税収を支出の財源とする必要はないと主張します 。
MMTによれば、政府は必要に応じてお金を作り出し、支出することができます 。税金の主な役割は、政府の支出を賄うことではなく、通貨に対する需要を生み出し、経済全体のインフレをコントロールすることだと考えられています 。税金は、政府が経済に投入したお金を再び回収し、経済が過熱するのを防ぐための手段なのです.
政府と民間セクターの間で行われるお金の流れを、MMTは「垂直取引」と呼びます 。政府が支出することで、新しいお金が経済に流れ込み、税金によってそのお金が政府に戻るというイメージです.
この考え方は、政府の予算に対する従来の考え方を大きく揺るがすものです。政府の支出は、必ずしも税収や借金によって制約されるものではないという視点は、経済政策の議論に新たな可能性をもたらすかもしれません 。
3. インフレに関するMMTの視点
MMTは、自国通貨を持つ政府にとって、財政的な制約は本質的には存在しないと考えますが、唯一にして最大の制約として「インフレ」を挙げます 。インフレとは、物価が持続的に上昇し、お金の価値が下がる現象のことです。
政府が過剰な支出を行い、経済全体の需要が供給能力を超えると、インフレが発生する可能性があります 。例えば、人手不足の状況で政府が大規模な公共事業を行うと、労働者の賃金が高騰し、それが物価上昇につながる可能性があります。
MMTは、インフレを抑制するための主要な手段として「財政政策」、特に「税制」を重視します 。政府が支出によって経済に供給したお金を、税金によって回収することで、過剰な需要を抑え、インフレをコントロールできると考えます 。
また、MMTは「完全雇用」の状態を、インフレが懸念される一つの目安とします 。経済にまだ余力がある場合(失業者が多いなど)には、政府支出を増やしてもインフレは起こりにくいと考えられますが、ほぼ全ての人が働いている状態では、政府支出の増加はインフレにつながる可能性が高まります 。
MMTの提唱者の中には、「就業保証(Job Guarantee)」という政策をインフレ対策と完全雇用達成の手段として提案する人もいます 。これは、政府が希望する全ての人に最低賃金で仕事を提供するというもので、失業をなくし、経済の安定化に貢献すると考えられています 。就業保証によって労働力の価格に下限が設けられるため、インフレを抑制する効果も期待されています.
MMTがインフレ対策の主要な手段として財政政策(税制)を重視する点は、中央銀行が金利を操作してインフレをコントロールするという従来の経済学の考え方とは大きく異なります 。
4. MMTへの賛否両論
MMTは、その斬新な考え方から、多くの支持者と批判者を生み出しています。それぞれの主な意見を見ていきましょう。
MMTの支持者の主な意見:
- インフレが制御されている限り、財政赤字を恐れることなく、完全雇用を目指した積極的な財政政策を展開できる可能性がある 。
- 特に景気後退時には、財政政策は金融政策よりも効果を発揮しやすい 。
- 自国通貨を持つ政府の債務は、家計の借金とは性質が異なり、デフォルトのリスクは低い 。
- 医療、教育、インフラなど、重要な公共サービスへの投資を、財源の制約にとらわれずに行える道が開かれる 。
- 税制は、政府の収入を得るだけでなく、所得再分配などの社会的な目的を達成するためのツールとしても活用できる 。
- 就業保証制度は、失業問題を解決し、経済全体の安定にも寄与する可能性がある 。
MMTの批判者の主な意見:
- 政府が際限なく支出を増やせば、高インフレを引き起こす危険性がある 。
- インフレを抑制するために、政府が適切なタイミングで増税などの措置を講じるとは限らない。政治的な判断が介入し、インフレ対策が遅れる可能性がある 。
- 「お金を刷れば良い」という考え方は、政府の財政運営を安易にし、無駄な支出を助長する可能性がある 。
- 政府債務が膨らみ続けることへの懸念は依然として根強く、長期的な経済への悪影響を懸念する声がある 。
- MMTは、金融政策(金利操作)の役割を軽視しているのではないかという批判がある 。
- MMTは新しい理論ではなく、過去の失敗例を繰り返す危険性があるという指摘もある 。
- 就業保証制度は、非効率な雇用の創出や、政府による経済への過度な介入につながる可能性がある 。
MMTに対する議論は非常に活発であり、その背景には、経済における政府の役割や、財政政策と金融政策の関係性に対する根本的な考え方の違いがあります 。
5. MMTの実際の応用例
MMTの考え方が、過去または現在において、実際に政策に影響を与えた事例はあるのでしょうか?
2020年、アメリカやカナダの中央銀行が、過去数年と比較して大量の国債を購入したことが、MMT的な政策の実例として一部で指摘されました 。これは、中央銀行が政府の口座に無制限にお金を供給し、利息や返済を求めないというMMTの原則と合致する動きだと考えられています 。
また、アメリカでは、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス下院議員などが、メディケア拡充やグリーン・ニューディールといった進歩的な政策の資金調達手段としてMMTを支持しています 。著名なMMT支持者であるステファニー・ケルトン教授は、バーニー・サンダース上院議員の経済顧問を務め、バイデン政権にもアドバイスを行っています。ケルトン教授は、バイデン大統領に対して、従来の資金調達方法にとらわれず、経済のニーズを優先してインフラ投資を進めるよう提言しています 。
さらに、1990年代初頭にイタリアがデフォルトの危機に瀕した際、MMTの先駆者であるウォーレン・モズラーは、イタリアが自国通貨建ての債務でデフォルトする可能性はないと見抜き、巨額のイタリア・リラ建て債券を購入して利益を上げました 。これは、MMTの考え方が現実の市場で応用された一例と言えるかもしれません 。
一方で、MMTの考え方が直接的に政策に採用されたと断言できる事例は少ないとする意見もあります 。近年、低金利と大規模な金融緩和が世界的に見られる中で、政府が財政支出を拡大する傾向がありますが、これがMMTの影響によるものなのか、他の要因によるものなのかを明確に区別することは難しいでしょう 。
6. MMTに対する一般的な誤解
MMTは、その革新的な考え方ゆえに、多くの誤解を生んでいます。ここでは、よくある誤解とその反論について解説します。
- 誤解:MMTは、インフレを全く気にせずに、政府が無限にお金を刷ることを推奨している。
- 反論: MMTは、インフレを政府支出の最大の制約と捉えており、インフレをコントロールするために税制を活用することを提案しています 。無制限な貨幣発行を推奨しているわけではありません。
- 誤解:MMTは、財政赤字は全く問題ないと言っている。
- 反論: MMTは、自国通貨建ての赤字はデフォルトのリスクがないとしつつも、インフレを引き起こす可能性があれば問題視します。赤字自体が良い悪いというよりも、その時の経済状況に応じて判断すべきだと考えます。
- 誤解:MMTは、お金を刷って全てを解決できるという単純な理論だ。
- 反論: MMTは、通貨の性質、税の役割、実物資源の制約など、より包括的な視点から政府の財政運営を捉えようとする理論です 。単に貨幣発行に焦点を当てているわけではありません。
- 誤解:MMTは、全く新しい突飛なアイデアであり、歴史的な根拠がない。
- 反論: MMTの根底には、国家貨幣理論(チャート主義)や機能的財政といった、過去の経済学の思想が存在します 。
- 誤解:MMTは、実物資源や生産能力の制約を無視している。
- 反論: MMTは、政府支出は最終的には利用可能な労働力や資源によって制約されると考えており、それを超える支出はインフレを引き起こす可能性があると認識しています 。
- 誤解:MMTは、金融政策や金利の役割を完全に否定している。
- 反論: MMTは、金利は主に金融システムの管理に使われると考え、マクロ経済の管理には財政政策がより重要だと主張します 。金利の役割を完全に否定しているわけではありません。
- 誤解:MMTは、単なる左派の政治的な主張に過ぎない。
- 反論: MMTは、経済システムの仕組みを説明しようとする経済理論であり、特定の政治的立場に限定されるものではありません 。ただし、その政策提言は、特定の政治的目標と結びつきやすい傾向があるかもしれません。
多くのMMT批判は、その基本的な考え方を誤解していることに起因する可能性があります 。
7. まとめ
現代貨幣理論(MMT)は、自国通貨を持つ政府の財政運営について、従来の経済学とは異なる視点を提供するものです。その核心的な考え方は、政府は必要に応じて通貨を発行できるため、財政赤字や政府債務に対する過度な懸念は不要であるとする点にあります。ただし、インフレは政府支出の重要な制約であり、税制がそのコントロールに重要な役割を果たすとMMTは主張します。
MMTの登場は、政府の財政能力や、財政政策と金融政策の関係性について、改めて考えるきっかけを与えてくれます。従来の経済学ではタブー視されてきたような大胆な政策提言も、MMTの枠組みの中では議論の対象となり得ます。
しかし、MMTには多くの批判もあり、その有効性や現実への適用可能性については、まだ議論が続いています。特にインフレコントロールの方法や、政治的な制約の中でMMTの考え方がどこまで実現可能かといった点は、今後の重要な検討課題となるでしょう。
MMTを理解することは、現代の経済問題をより深く考察するための新たな視点を与えてくれます。賛否両論を踏まえ、MMTの考え方を批判的に検討することで、より健全な経済政策の議論につながるかもしれません。
概念 | 伝統的な経済学 | 現代貨幣理論(MMT) |
---|---|---|
政府の資金調達 | 主に税収と国債発行(借金) | 主に通貨発行、税はインフレ管理 |
政府債務 | 大きな負担となり、デフォルトのリスクがある | 自国通貨建てであればデフォルトのリスクは低い、貨幣供給量に関わる |
税の役割 | 主に政府支出の資金調達 | 主にインフレ管理と通貨の需要創出 |
国債の役割 | 赤字を賄うための借金 | 銀行の準備預金管理と金利コントロール |
MMT賛成派の意見 | MMT反対派の意見 | |
インフレ抑制下での完全雇用達成の可能性 | 無制限な支出による高インフレの懸念 | |
景気後退時の財政政策の有効性 | 税制によるインフレコントロールの実現可能性への疑問 | |
自国通貨建て債務のデフォルトリスクの低さ | 貨幣発行による支出への安易な考え方への懸念 | |
公共サービス投資への財源制約の緩和 | 過剰な政府債務とその長期的な影響への懸念 | |
税制による所得再分配の可能性 | 金融政策と金利の役割の軽視 | |
就業保証制度による完全雇用とインフレ抑制の可能性 | MMTの理論的根拠と実証的裏付けへの疑問 | |
就業保証制度の非効率性や政府の過度な介入への懸念 | ||
財政政策の政治的利用の可能性 |
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